神経症者の性格~森田理論
神経症者の性格
性格の特徴
神経症者がどのようにしてつくられるのか。
森田はその著書において、十の「変質者」の例をあげ、
その一つに「神経質」を入れている。
現代では「変質者」というと、性格の極端な偏奇者を考えがちであるが、
そうではない。
森田があげる神経質は、普通の人から見て
神経質的に性格が偏っているという程度のことである。
森田は、フロイトが神経症の環境論を標榜したのに対して、
素質論が中心となっていた。
したがって神経質素質という生まれつきの素質が
森田によって問われたのである。
まず神経質者の性格の特徴を考えてみると、
一言でいってしまえば、“かくあるべし”という考えが
非常に強い性格である。
換言すれば、これは一つの教条主義である。
人間性を無視し、状況を無視して、自分勝手に“かくあるべし”という
結果を求めるならば、現実にはそれが実現し得ないばかりか、
かかわりをもつ他者に困惑を与え、
それによって自分も傷ついたり、苦しんだりすることになる。
たとえば、「人前であがらずに話せるべきである」という命題を自分に下すならば、
人前で話すときに吃ったり、ドキドキしたり、
顔が赤くなったりする自分はだめな人間であるということになる。
その結果どうするかというと、人が自分をおかしく
見ているであろうというように、人に自分の苦痛の責任を転嫁するか、
こんな自分は駄目な人間であるというように、
自分の内に劣等感を肥大させることになる。
また、人間関係の面ばかりでなく、
「自分は常に健康でなければいけない」という命題を自分に課すると、
心臓がドキドキしたり、呼吸困難が起こったりする自分は、
身体が駄目な人間であるということになる。
しかもその原因が、あらゆる内科疾患を捜しても
見当たらないとあっては、自分の心理的な不安がいよいよ
自分にとって都合の悪いことになり、
「このことがあるから会社に行けない」というように、
不安を理由にして現実参加を拒否してしまう。
さらに、「いつも頭がすっきりしていなければいけない」
という命題を課すると、少しでも頭が痛いときに、
どうして自分だけがこんなに頭が痛いのかと悩んだり、
場合によっては、「脳腫瘍があるからこんなに頭が痛いのだろう」
などと拡大解釈を行う。
こうしたことは、いずれも“かくあるべし”という枠組みを
自分の心の中につくってしまって、真実なる現実を見ていないのである。
発達過程に潜む問題点
それでは、このような性格はどうしてできてくるのであろうか。
それは、森田のいう「素質」とも相俟って、
「生の欲望」に関する人間発達の過程に大きな問題が存在するからである。
そのなかでも、特に「家族期」の後期から次第に家族の影響を受け、
神経質の場合、特に、「前社会化期」における家族や、
他人や、現実状況とのかかわりに重大な問題が存在すると考えられている。
もともとは「生の欲望」が充分に存在する神経質者であるから、
よりよく自己実現をしたいという願望が強くなる。
これは一面では非常によいことであるが、
他面では、現実を無視した“かくあるべし”という考えによって、
自己を苦しめ、他者にも迷惑を与えることになるのである。
森田博士が考える、神経質者の特徴である。
すべてにあてはまるとは考えないが、特徴的に多いように感じる。
そのような性格は、よい面もあれば、自分自身、他者を苦しめてしまう場合もある。
認知療法や森田療法などを活用し、ものの考え方の偏りを観察することが必要と考える。
参考)著者 岩井 寛『森田療法』発行所 株式会社 講談社
精神保健福祉士・介護福祉士
森田療法家
伊藤 大宜