「私は正しい」と思うから怒る
「私は正しい」と思うから怒る
怒らないほうがよいとわかっているのに、
我々はなぜ怒るのでしょう。
いつでも、我々には「こういうことで怒ったのです」
という理由があります。その理由をひとつひとつ分析してみると、
「自分の好き勝手にいろいろなことを判断して怒っている」
というしくみがあります。
人間というのは、いつでも「私は正しい。相手は間違っている」
と思っています。それで怒るのです。
「相手が正しい」と思ったら、怒ることはありません。
それを覚えておいてください。
「私は完全に正しい。完全だ。完璧だ。相手のほうが悪いんだ」
と思うから、怒るのです。
他人に怒る場合は「私が正しくて相手が間違っている」
という立場で怒りますが、自分に怒る場合はどうでしょうか。
そのときも同じです。
何か仕事をしようとするのだがうまくいかない
という場合、すごく自分に怒ってしまうのです。
たとえば「自分がガンになった」と聞いたら、
自分に対して「なぜ私がガンになったのか」とずいぶん怒るのです。
「なぜこの仕事はうまくいかないのか」
「どうして今日の料理は失敗したのか」とか、
そういうふうに自分を責めて、自分に怒る場合もあります。
「私は完璧なのに、なぜ料理をしくじったのか。ああ嫌だ」
「私は完璧に仕事ができるはずなのに、
どうして今回はうまくいかないのか」と怒ります。
「私こそ唯一正しい」が人間の本音
この「私は完璧だ、正しいのだ」という考え方は、
道理にかなったものなのでしょうか?
もし私がどなたかに「本当に、あなたは完璧な人なのですか。
自分がまったく正しいと思っていますか」と聞いたら、
「いえ、とんでもない。私はぜんぜん、そうは思っていませんよ」
と言うのです。
ところが私が「ああそう。じゃあ、あなたはただのバカですね」
と言ったら、すぐに怒りだすのです。
ですから、そこに矛盾があります。
人前では建前として、
「私はダメだ。ダメな人間だ」と一応謙虚さを見せながら、
心の中では、「絶対そうじゃない。
私こそ、唯一正しい人間だ。ほかの連中はいい加減で、間違っているんだ」
というように考えているのです。
たとえば、母親が子供を怒ったり、
あるいは先生が生徒を怒ったり、
あるいは上司が部下を怒ったりします。
子供や生徒や部下は、何か間違っているかもしれません。
それで怒ってしかるのですが、
そのとき我々は「あなたは間違っていることをやったから」と、
自分の怒りを正当化します。
相手が間違っているのなら、
「それはこうゆうことで間違っていますよ。
だから二度と間違わないようにしましょう」と
ニコニコ顔で言えば、本当はそれですむはずです。
それなのに、なぜ怒るのでしょうか。
そのときも、「自分は正しい。
自分の言葉も正しい。自分の考え方は正しい」という
概念が頭にあるのです。
「私は間違いだらけ」だとわかると怒らない
けれど私たちの心にある「私は正しい」という
思考は間違いです。それを「私が正しいはずはないのだ」と
訂正することです。
「私は完全だ」「私は正しい」というとんでもない考え方は、
一刻も早く捨てたほうがよいのです。
ちょっと考えてみてください。
人間が完全であるはずがないでしょう?
物事を正しく判断できる知識人であるならば、
「私はけっして正しくはない。今はこういう意見を言うのだけれど、
それもやっぱり隙だらけだ」とわかっています。
言葉も完璧ではないし、自分が使っている単語も、
比喩も完璧ではないし、何ひとつも完全にできないのです。
たとえ、子供や生徒や部下が間違いを犯したとしても、
自分のしゃべり方が間違っていたのかもしれません。
そうすると、どちらも間違いを犯していることになります。
ですから、「自分が正しいという考え方は、非合理的で、
非真実で、嘘で、あり得ないことだ。このあり得ないことを頭で
徹底的に信じている自分ほどの大バカ者は、世の中にいない」と
はっきりと理解したら、もう怒らなくなってしまうのです。
「私は正しい、とは言えない。私は完璧だ。間違いだらけだ」という
ことが心に入ってしまうと、もうその人は二度と怒りません。
参考)
著者 アルボムッレ・スマナサーラ 『怒らないこと』発行所 大和書房
精神保健福祉士・介護福祉士
伊藤 大宜