最大限の創意工夫で前進、即ち自由~森田療法
最大限の創意工夫で前進、即ち自由
自分のあり方、心のあり方と生活のあり方という、
全く論理の異なる二つのものでありながら、
それが普通ごっちゃになってしまうもので、ややこしくて仕方がない。
言葉のない精神生活を送って頂いて、
自分の心に注文したり、命令したり、善しあしを決めたりなど、
自分に対してこれが自分の姿だと決めていく方向に、
一切言葉を使わずにおき、
他方思い出としていろいろわき出て来る雑念などは一方通行、
つまりほったらかしで自由にしておくことである。
そういう上に今度は外向きの、気配りが必要だ。
これは全く外向きな知的なものである。
つまり、第二期、第三期、第四期とさまざまな困難な場面を
体験していくというのがここでの生活。
ことごとく皆さんの外のもの、環境、あるいは世間、世界、
あるいは宇宙空間に広がり、いつも外のことについて、
細かく細かく考えていくことである。
周囲に配慮の行き届いた生活の中に、
これが自分だというものが、どのような課題として残らないことが大切である。
普通世界では、
考えの内容でやりくりしようという治し方が一般的である。
気分転換といわれるものを初めとして、
心の持ち方がどうのこうのというようなのは、
みんな思考内容を問題にしているわけである。
しかし、ご自分の心に言葉(分別)が使われ、
考えや感情を固定して、そこに価値的な善しあしがひっつくと、もういけない。
いい方へいい方へと向かおうとして、内面的なやりくりに終始する形で、
脱線し、虚構性の病感が募ってくる。従って、
目の前の事柄には最大限の創意工夫を加えられて、ただいま進されることに尽きる。
そういう前進がなされる時、不思議にもひとりでに心が自由になっておられる。
これがここでいう、療法の極意なのであるが、
自分のほうがお留守になっているのが肝心な点だ。
言い換えると、意識して作ったのではなしに、これが自分だというものが、
もはや言葉とともに消されるという、願ってもない事態が起こる。
それを別に四十日とはいわず、今日一日でも、あるいは一時間でも、
この場の状態として、今の状況にすぐ相手になって、
森田先生の言われる「君はもっとハラハラし給え」というその持ち前の敏感さを
ますます発揮して進んでいく緊張した生活ぶりに、
見事な全治が現れるわけである。
世界に数多い精神療法の中でこの森田療法だけが、
緊張を高めて治すという点に、非常に大きな特徴がある。
決してリラックスせよとか、もう気を使うなとか、のんびりしたらいいとかなどとは言わない。
こういうふうにして、今申し上げていることをごく切りつめて言うと、
思考内容というものは、もっぱら皆さんの外界の世間のこと、
お互いのこと、あるいはご家族のことに関する領域に限られるのである。
何度も申し上げるが心については「ほったらかし」にして、
どしどし、お仕事や勉強に精を出していかれればよいのである。
著者 宇佐晋一 木下勇作
『続あるがままの世界』
発行所 東方出版
精神保健福祉士・介護福祉士
伊藤大宜


