人間の存在を恐怖と欲望から理解する~森田理論
人間の存在を恐怖と欲望から理解する~森田理論
私たちの「生きる欲望」と恐怖、不安、苦悩が関連していることは、
古くから知られています。
仏教では、自分の欲望が煩悩、悩みを生むと理解します。
そして精神療法でも、人間の欲望の理解をめぐって多くの見解があります。
森田療法の欲望の考え方に基づくと、
人の悩みはどのように理解されるのでしょうか。
森田は「生の欲望」と死の恐怖について、
人が病を恐れ、死を恐れるのは、
この「生の欲望」をまっとうするためである、と述べました。
つまり私たちが、生きたいという欲望をもてば、
当然死の恐怖も感じることになります。
つまり、
(よりよく生きたいと望めば望むほど、生きる悩みも強く、深くなるのです。)
欲望と恐怖は相対的な関係にあります。
つまり生の欲望の中に死の恐怖が含まれているのです。
私たちが現実に生きるということは、
よりよく生きたいと願うゆえに、わが身の安全や保全を望み、
つまり病を恐れ、自分が傷つくのを恐れ、変化を恐れ、
新しい世界を恐れることです。
私たちは生きたいと望めば、必然的に恐怖、不安、悩みを感じます。
恐怖は生きていく上で避けることはできません。
そして私たちが感じる恐怖、不安、悲しみ、嫉妬、羨望、憎しみ、
などの苦悩に満ちた感情は、強く、激しく、深く生きたいという生の欲望の裏返しなのです。
その「生の欲望」が強ければ強いほど、
恐怖、不安などの感情も強く感じます。
そしてこのつらい感情をもつからこそ、愛、喜び、達成感などの感情を強く、
激しく、深く感じることができます。
そして私たちが健康であるときは、
うまくこの欲望と恐怖のバランスが取れています。
人は深く喜び、それゆえ深く悩み、自分の人生をいきいきと生きていきます。
悩みにとらわれた人は、何か欠けたところがある。
欠陥がある。異常である、他の人に比べて劣っているなどと、
何かが足りないと自分で考え、苦悩します。
悩んでいる人の背後に(生きる欲望)が、
それも過剰ともいえる(生きる欲望)がみえます。
そのような人は、よりよく、より強く、より完璧に、
より安全に、より健康に、よりよい関係を人ともちたいと
強く願うがゆえに、苦しみます。
ここでの欲望は「かくあるべき」、つまり思想の矛盾という形で表れます。
人が悩み出すと、その恐怖にとらわれ、
それを取り除くことに汲々としてしまいます。
そうなると本来発揮すべき生の欲望が、
恐怖を取り除くための召使となります。
ここでは欲望がマイナスにしか働いていません。
そして強く悩み、とらわれている人は、
その悩みを取り除くことがその人の人生の絶対的な価値、
生きる目的となってしまいます。
森田は欲望と恐怖の関係から
人間の存在を(精神病理的問題)と考えました。
生きているうえで、よりよく生きたいという願望はだれにでもあるでしょう。
それを深く追求すると、死の恐怖が起き上がり、
「かくあるべき」という思想の矛盾に陥ります。
感情はそのまま受け入れ、まず一歩前にすすむこと。
そしてダメであれば、また違うことにチャレンジする。
森田は晩年に次のようなことも言っています。
「欲望はあきらめることができない」
(われわれは自己実現をあくまで追求する存在である、固有に生き方を求めていく存在である)と・・・
恐怖と欲望は不可分な関係にあり、
片方だけでは成り立ち得ないものです。
それゆえ、恐怖を取り除こうとすること自体が
恐怖へのとらわれとなり、また自らの欲望の否定、
つまり自己否定となり、それが私たちの最大の矛盾ともなるのです。
参考)著者 北西憲二 中村 敬『森田療法』発行所 ミネルヴァ書房
精神保健福祉士・介護福祉士
森田療法家
伊藤 大宜