不安・劣等感・罪悪感~ユング派心理学から
ユング派心理療法
心理的症状と心理療法の成立
不安・劣等感・罪悪感
「(中略)18世紀、19世紀において、不安という
感情が重要になり、哲学において不安が中心的な概念と
なることは、近代個人と自意識の成立に関係している。
このような哲学は不安を人間存在の根源的なものと
みなしているけれども、それは近代の大人に特有なもので、
自分を意識しない人には不安はない。
4歳くらいのときに、はじめて死の恐怖を感じたという
人は多いと思われるが、それは意識というものが成立して
くるためである。自分を特別な存在と思い、
自分への自覚が生まれるからこそ、それを失うかもしれない、
脅かされるかもしれないという不安が生じてくる。
不安障害を持つ人の夢に、何ものかに追いかけられる夢が
多いのは、自分を特別な存在で大切であると思うから、
脅かされる感情が生じてくるのである。
また追いかけられる不安夢は、思春期に増えてくるが、
これも自意識の強まりによって生まれてくるのである。
(中略)対人恐怖の人は、家族などの特別親しい人でも、
まったく知らない人でもない、近所の知り合いとか同じ学校に
通っている生徒などといった、少しだけ知っているいわゆる
「中間の存在」の人々を怖がる。
そのような少しだけ知っている人々とは、
共同体的な人々に他ならない。本来はなんとなく自分を包み、
守ってくれるはずの共同体の人々が、
そこから抜け出ようとしている人には、逆に怖いように思える。
だから対人恐怖は、共同体の機能が薄れつつあることによって
生じてくる。また対人恐怖の症状である、
近所の人に噂されているとか、クラスで見られている
という訴えは、別に実際に他人によってなされている
のではなくて、自分を意識しはじめる自意識の働きに他ならない。
つまり近所の人の声やクラスメイトの視線は、
自分自身に語りかけたり、
自分自身を見つめたりする自意識の投影であり、
じつは自分で作り出している。
このように自立した個人というのが不安定であって、
拠り所がない、また自意識というものが
必然的に矛盾を含んでいるからこそ、
さまざまな症状が生まれ、
それに対する心理療法の必要も生じてくる。」
自分というものを客観的にみることはできないことで、
自分はこうである、ああであるというが、
それは今の状態の自分が話されている自分である
ということです。
自分というものが、なにか不安を感じるとか、
劣等感がある、罪悪感があると思うこと考えることは
意識をそこに向けているからこそ生じることであります。
参考)
編著 河合 俊雄『ユング派心理療法』発行所 ミネルヴァ書房
精神保健福祉士・介護福祉士
森田療法研究家
伊藤 大宜