共感は生まれつき?
共感は生まれつき?
1995年11月のことです。
ニューイングランド地方の屠殺場で解体場へ通じる回転ドアを
通過する順番を待っている牛の中に「エミリー」と
名づけられた牛がいました。
辺りには血なまぐさい匂いが漂い、
入り口の向こう側へと消えていった牛はもう二度と戻ってきませんでした。
エミリーは何かを感じとったのでしょうか、
突如として列から飛び出し、
あたりを囲う1.5メートルの柵をめがけて全力疾走し、
680㎏もある体で柵を飛び越えました。
エミリーは森の中を逃げ回り、
半信半疑で追いかけてきた作業員たちの追跡を逃れたのです。
ニューイングランド地方の中心にあるマサチューセッツ州の
小さな田舎町ホプキントンの森で、
エミリーは日夜厳しい寒さの中40日間もの間、
追っ手から逃れ身を隠しました。
エミリーが脱走した屠殺場のオーナーであるA・アリーナ&サンズ社は、
彼女を捕まえ連れ戻すつもりでいましたが、
一方で近隣に住む人々はエミリーの自由をかけた逃亡をなんとかして
手助けしたいと思っていました。
地元の農家はエミリーが生きながらえるようにと干し草の俵を
森に運んだり、住民たちは彼女の隠れ場所について
警察にわざと嘘の情報を流したりしたのです。
この騒動の起こった付近に、
ルイス&メーガン・ランダ夫妻が創立した
非暴力の生き方を学ぶ精神修行施設であるピースアビーがありました。
ランダ夫妻はA・アリーナ&サンズ社からエミリーを
買い取りたいと申し出たのです。
夫妻はエミリーがピースアビーの敷地内の小さなシェルターで
人生を全うすることを望んだのです。(中略)
エミリーはピースアビーで残りの人生を過ごし、
10歳になった時子宮がんで息をひきとりました。
エミリーの追悼式は世界中で関心の的となり、
彼女に捧げられてお別れの言葉は1時間以上も続きました。(中略)
エミリーのたどった人生は私たちの記憶に残り続けるでしょう。
カーニズム(人類と他の動物との関係を論じる際に用いられる概念)という
暴力的な体制が、
私たちに真実を知られぬよう目隠ししていること、
この暴力的な体制の存在を許してはならないことを
思い出させてくれるのです。
そしてその真実とは、
何十億もの家畜が不必要に苦しめられているということであり、
また私たち人間は本来「気づかう生き物(共感する生き物)」だ、
ということです。(中略)
共感は生まれつき?
最近の研究は、共感には生物学的な根拠があるかもしれないことを
示しています。
言い換えれば人間も(人間以外の動物もある程度は)、
生まれつき共感能力を持つということです。
科学者たちは、刺激に対して反応する神経細胞ミラーニューロンが、
本人が行動を起こしている時にも、
ただ単に他者の動きを見ている時にも反応することを発見しました。
例えば、誰かがボールを蹴ったり、泣いていたり、
痛めつけられていたり、
虫が足を這い上がってきて身もだえしているのを見た時、
それを見ている人も、
まるで自分にも実際に同じことが起きているかのように
脳の中で反応をするのです。
ですから私たちは、
意図して相手の立場になろうとしなくても同じように感じるので、
ある程度は相手がどのように感じているのかを理解できるのです。
この発見には重要な意義があります。
もし共感が私たちの脳に既に組み込まれている
無意識の反応だとしたら、
私たちにとって他者が感じていることに共感するのは自然なことです。
もし共感できないのであれば、
それは私たちが自然の衝動を無視している、
ということになります。
そうであるならば、カーニズムの防衛機制は実のところ、
人間の自然なあり方に背くよう機能しているのではないでしょうか。
著者 メラニー・ジョイ 訳 玉木 麻子
『私たちはなぜ犬を愛し、豚を食べ、牛を身にまとうのか』
発行所 青土社
愛玩動物飼養管理士
精神保健福祉士・介護福祉士
伊藤 大宜