病感は自分の心を問題にするところより生ずる
病感は自分の心を問題にするところより生ずる
心については他人の心を読むという精神医学とか
心理学とかの学問が果たしている役割とは全く別に、
皆さん方が、自分の心を今、問題にしているところに問題がある。
自分の心をどう扱うかと考えることで、
事実から離れてしまうのを森田先生は「思想の矛盾」といわれた。
こうありたいということと、その事実が食い違うということである。
今やここでは、
そういう思想を組み立てる言葉や論理ででき上った考えを用いて、
心という本来、形を持たないものをそれに置き換えたその瞬間から
事実でないものが存在し始める。
それを「概念化の矛盾」と呼んでいるが、
考えに置き換える矛盾ということに注目して、
自分の見た自分というものが一切、
ずれており、真の実存ではないということがはっきりすると、
森田先生の「あるがまま」が大変すっきりして、
完全な論理性を持たない事実のみの世界に還元される。(中略)
森田療法ができ上ってから、百余年にして、
どんな進歩があったかというと、こうありたいというのと、
これが事実だということと、
でき上った二つの考え同士が矛盾するということから、
自分の心に対して言葉を使ったら、もうひっかかりが生ずるという視点に変わった。
自分の心に対してどうのこうのという解釈も判断も、
あるいは価値的な見方も、またどうしようという考えも、
ことごとく脱線につながる。
だから自分の説明が全くいらない。
また「心に用事なし」というのは、森田原法においては、
思想の矛盾を引き起こさないようにしておくという用事があった。(中略)
信じるか、信じないかに関係なしに、
尽くすべきこと、今しなければならないことを、
どんどん、かたっぱしからすると、
その瞬間、瞬間が全治であり、全く全治のプロセスはない。
治るプロセスを問うことすら、必要ない。
皆さんにいいサービスをしようとお互いにし合って、
毎日の生活を送ること自体が、全治そのものなのである。
著者 宇佐 晋一/木下 勇作『あるがままの世界』
発行所 株式会社 秀和システム
精神保健福祉士・介護福祉士
伊藤 大宜


