異常と正常
異常と正常
他者を支援することを志す際、
何をもって「異常(あるいは正常)」と判断しているのか、
一度は十分に考えておく必要があります。
たとえば、一般的に、妄想や幻覚を覚えることなく生活することが
「正常」なことだとすれば、妄想や幻覚を覚えることは、
一般的に起こり得る体験ではないことからも「異常」と
判断されるでしょう。また、小学校の教室で授業が行われている中、
あるひとりの子どもが離席し、立ち歩いてしまうことは、
その他多数の児童が着席して授業をうけていることからも、
異常と判断されるでしょう。
しかしながら、こうした異常性は、本当に異常なのでしょうか。
もちろん「一般的に」「大多数が」同一の行動や状態を呈している中で、
異なる行動や状態を呈している場合は
(かつ、常識の範囲外である場合には)、
「異常」と判断されることが多々あります。
一方で、その立場や環境の相違によって異常か正常化かの
判断が異なる可能性が考えられます。
たとえば、大多数の人が妄想や幻覚を覚えるということが
一般的であれば、それは正常といえるかもしれません。
また、自由に歩き回るスタイルの授業であれば、
離席や立ち歩きは何ら問題がない、
むしろ推奨される良い行動と判断されます。
以上は極端な例かもしれませんが、
「異常」か「正常」かは、多数決の原理と環境の要因に依存し
判断される可能性がある曖昧なものともいえます。
そして、支援者が、「異常」と「正常」を十分に考える機会を
もつことは、「あの人は○○障害だから異常」といった極度の
ラベリングを避けるひとつの手段といえます。
精神疾患の診断基準に記載されている特徴は特異的であり
特殊なものであり、一般常識的にも医学・心理学にも「異常」と
判断することができます。
一方で、こうした「異常」と感じることも、
大多数はそういう特徴をもっていないからこそ「異常」と
判断されているのかもしれないと考えてみることで、
苦しみを抱え支援を求める人々のとらえ方も
多少変わるのではないでしょうか。
参考)著者 山蔦圭輔『ベーシック健康心理学』発行所 株式会社ナカニシヤ出版
精神保健福祉士・介護福祉士
伊藤 大宜