生きることが苦しいのは、執着がありすぎるから
生きることが苦しいのは、執着がありすぎるから
人間にはいろいろな好き嫌いや、こだわり、
価値観があると思うけど、それらに長年慣れ親しんだり、
愛着があったりするほど、なかなか手放せないものなんだ。
そうして執着が強くなっていくと、
思いどおりにならなかったときのつらさはだんだんと増していく。
生きるのが苦しいと感じている人は、
みんないろんなことに執着がありすぎるんだよ。
たとえば、大人にとって毛布はつまらないものかもしれないけど、
毛布をオモチャみたいにして遊んでいる子や、
朝も夜も毛布を手放さない子にとっては、毛布は宝物なんだよね。
小さい子は毛布に執着するという話をよく聞くけど、
親が毛布を片付けてしまうと引っ張り出してきて、
持って歩いたり、くわえたりするんだ。
長年使っていれば、何度も洗ってボロボロで汚くなるから、
親がある日毛布を捨ててしまうとするよね。
だけど、子どもにしてみれば、持っていると安心できる毛布を捨てられて、
悲しくて悲しくてしょうがないんだ。
衛生的に良くないと説明したって、その意味がわからないからね。
困った親がまったく同じ毛布の新品を与えても受け付けず、
子どもは毛布を捜して歩くわけだ。
いままで持っていた物こそが宝物だと思っているからね。
それと同じで、みんな自分の考えや好みに執着しすぎてしまって、
一度自分がこうだと決めてしまったら、
それを手放すことができないんだよ。
そうすると、大人になるにつれて執着がだんだん大きくなって、
いつも心の中で渦巻いているようになるから、
なんでも自分のものにしなくては気が済まないとか、
自分で決めたこと以外は嫌いだとなってしまう。
駄々をこねる子どものように、うまくいかないと人に当たったり、
わめいたりして大変なんだ。
古びた毛布は、子どもが相当大人にならなければ、
自分で捨てることができない。
だから、ひとつのものに長いこと執着して、
それを捨てようと思ったら、相当の年月が経たないと捨てることが
むずかしいんじゃないかと思うよ。
何をやっていても、執着が残っている以上は、
混乱したり、怒ったり、泣いたり、悲しんだりするんだ。
本人以外の人からしたら、「なんでそんなことで怒るのか」と
思うことでも、本人にしたら真剣だからね。
相手にものすごく侮辱されたり、バカにされたと思って、
目の色を変えてカンカンに怒る。
そうすると、相手はその怒りに対抗しようと思って鎧を着るから、
さらに関係がおかしくなってくるんだよ。
なんでもそうだけど、
執着が過ぎると悩みや問題の種となってしまうんだ。
生きることに苦しさを感じている人は、
思わぬ欲や価値観が執着のもとになっていることもるから、
一度自分の心を見つめ直してみるといいのかもしれないね。
著者 酒井 雄哉『がんばらなくていいんだよ』
発行所 株式会社PHP研究所
精神保健福祉士・介護福祉士
伊藤 大宜